奈良県では、あちこちで万葉歌碑を見ることができます。実は1970年代の初め、奈良盆地東南部の桜井市で万葉歌碑を建てる計画が持ち上がりました。文芸評論家の保田與重郎(やすだよじゅうろう)も、桜井市内に万葉歌碑を建てた一人です。地域学と考古学を専門とする同県大淀町教育委員会学芸員の松田度さんに、彼の歩みを紹介していただきます。
保田與重郎、日本文学史の論客として活躍
筆者がたびたび利用する奈良県の桜井市立図書館の郷土資料室には、文芸評論家として知られる保田與重郎(1910~1981)の紹介コーナーがあります。
保田は、1910(明治43)年4月15日、奈良県磯城郡桜井町(今の桜井市桜井)で生まれました。生家は今も残っています。若いころから「万葉集」などの古典文学に親しみ、ドイツ・ロマン主義の影響をうけて、近代的な合理主義に対する「古代日本への回帰」を唱えました。
5月25日13時から対談イベント「わが里の歴史教室」
「卑弥呼の墓」という説もある巨大な前方後円墳の箸墓古墳をめぐって、奈良県大淀町学芸員の松田度さんと、朝日新聞橿原支局長の塚本和人記者が対談します。参加費300円。申し込みは専用フォーム(https://forms.gle/HMEgqDtRMQWpTxhT7)から。
1935(昭和10)年には、仲間たちと「日本浪漫派(ろまんは)」を創刊。日本文学史の論客として活躍しましたが、45(昭和20)年3月に出征。中国で敗戦を迎え、帰郷。58(昭和33)年からは京都市右京区の鳴滝に山荘を構え、静かに暮らしました。
保田が建てた万葉歌碑とは
還暦を過ぎた71(昭和46…